昨日、交通量の多い道路を歩いていて、
歩道との間のガードレールがぐしゃぐしゃにこわれて
テープが張り渡されている場所にであった。
ああ、また事故だったんだな・・・
と思って通り過ぎてしばらくいったあたり、
強風をよけるように、歩道のすみに
花束が手向けられていた。
あの場所で人がなくなったんだな。
まだいきいきしてる花束。
帰り道も同じ道を歩いた。
少しだけ浮き立ったこころを持って。
まだ、花束はそこにあった。
一度通り過ぎて、ふとひきかえし、
風で吹き寄せられたであろうプラスチックのゴミをとりのぞき、
粉塵を振り払って、
そっと前の場所に置きなおした。
行きよりは花たちもしなびているようだった。
いつも死と隣り合わせに感じている私が、
生きてそこを通り過ぎ、
きっとその瞬間まで死など思わなかっただろう誰かが、
そこでいのちを落としている。
なんという理不尽。
そして、それが真の理。
私の『いつ死んでもいい』と思う気持ちは、
どこかで『まだ生きたい』という気持ちに繋がってる。
執着を離れることはまだできそうにない。
コメント
丁度昨日で4年になりました。
いのちというのは はかなく そして力強くもあり
生きるということは生かされているという感謝のもとに
いろんなことがおとずれますね・・・
美歩さんのまだ生きたいという気持ちが
明日を素敵にかえれゆける無限の可能性があることを
教えてくれている気がしました。
やはり、命はひとつしかないから…ということですね〜。
以前、交通事故で亡くなられた人のことを、日記で書いたことがありますけど、
そこにも花が添えられていて、通るたびに胸が締め付けられる思いがします。
宗教とはいえないけど、なにか人智を超えた力によって生かされてるという感じがしますよね。
生死は悲しいけれど、どうしようもない。
明日からも一生懸命愚直に生きていかなきゃね♪
そうそう、ひーろさんもこういう現場に関わられることもあるのかなぁ・・・とまさに!思い浮かべてましたよ。
花束ひとつが語りかけてくれるもの、ってたくさんありますね。